え?私って高齢者?という違和感
「高齢者」や「老人」と呼ばれたいですか?
自分が60代に突入して感じるのは、「え?これが60代?」という違和感です。
私が子供の頃は、60歳を過ぎた人は髪は白髪で顔にはたくさんシワがあって、碁をうつおじいちゃんや孫の世話を焼くおばあちゃんというイメージを持っていました。
ところが、自分が実際に60歳を超えてみるとどうでしょう!
気持ちはまだ20代とまでは言わないものの、40代くらいなら十分行けます。
私の個人的な感想かも知れませんが、同感だという方もきっと多いのではないでしょうか?
私の母が75歳になったとき、役場から「後期高齢者保険証」が送られてきました。
それを受け取った母は一言、「後期高齢者ってひどい言い方だねえ…。」と呟いたのを20年経った今でもハッキリ覚えています。
母にしてみれば、そういう言われ方をする切なさをポロリと口にしないではいられなかったのでしょう。
医療機関に行くと毎月この保険証の提示が求められます。
そして、その度にこの「後期高齢者」というタイトルを目にせざるを得ません。
人の気持ちがわかる人なら、ラベル付けにはもう少し配慮するのではないでしょうか?
わかりやすさや効率が最優先でしょうか?
高齢者の定義は実はいろいろ
国連では、60歳以上を高齢者として定義し、80歳以上を後期高齢者としています。一方、国際保健機構(WHO)によると、高齢者は65歳以上となっており、80歳以上が後期高齢者とされています。ほかに、最近注目を浴びている学問に、高齢者にまつわる研究を行なう「老年学」というものがありますが、この老年学では65歳以上が高齢者とされ、65歳から74歳を前期高齢、75歳から84歳を中期高齢者、85歳以上を後期高齢者としています。
(保険市場TIMESより)
これに付け加えて、健康保険の枠組みで行くと(前期高齢者という括りはなく)75歳以上だけがなぜか「後期高齢者」と呼ばれています。
ちなみに、昨日のNHKのニュースの中で、「日本では一般的に高齢者というと以前は65歳からという認識が多かったが、最近は75歳が適切なのではないかという認識がひろがっている」と言っていました。
「孤独感」を低減するために必要な友達作り
最近はひとり暮らしのシニアがとても増えました。
一人暮らしであっても孤独感を感じないで過ごしていける人はいいのですが、特にこのコロナ禍にあっては悲痛な思いを抱えている人が多いのではないかと思っています。
もっとも、一人暮らしだから孤独感に向き合わなければいけないということはないのです。
私は離婚する前、家庭の中でものすごく孤独感を感じて過ごしていましたから、一人暮らし=孤独感という関係ではないことを身をもって知っています。
むしろひとり暮らしをしている今の方がずっと充実した生活を送れています。
ただ、孤独感を感じたときに生きる元気をもらうには誰かの存在(友達)がカギになることは事実だと思います。
- 自分を見守っていてくれる人がいると感じさせてくれる誰か
- この人も同じ思いを抱えながら生きていると感じさせてくれる誰か
- 自暴自棄になる自分を優しく押し留めてくれる誰か
そんな誰かと知り合いたいと願っているシニアは私を含めてきっと多いはず。
(参考文献 高齢者の日常生活・地域社会への参加に関する調査)
シニア向け施設の名称に「高齢者」や「老人」を使わなくても
私は「高齢者生きがい工房」という公の施設の木工教室に通っています。
日曜大工に興味があるのと同時に、同じ趣味を持つ友達ができたらいいなという思いがあるからです。
その木工教室はおおむね60歳から利用できるとあるので、63歳の私はしっかり当てはまっています。
が、そこでいつも感じるのは、「私って高齢者?」という違和感です。
別に無視しても構わないのですが、もしかしたら「無視しない」ことの方が重要かも知れないと今日ふと思いました。
高齢者と銘打つ理由は、私が通っているその施設が提供しているプログラムは若い世代向けではない、ということなのでしょう。
だから、お役所は何とか手っ取り早く利用者カテゴリーを明確にしたくて、こんな無頓着な(別の言い方をすれば、思いやりのない)用語で片付けてしまうのだと思います。
けれども、
ひとり暮らしのシニアが仲間を求めて集う目的で設立された施設が、「高齢者集いの家」や「老人出会いセンター」なんて名称だったら、誰が「行きたい」と思うでしょうか?
近所に、60歳以上が利用できる「〇〇市老人憩いの家」というハコ物がありますが、広々とした隣接駐車場はいつもガランとしていて、人が出入りする様子もありません。
そして、シニアはどうしてシニアとだけ活動を共にしなければいけないのでしょうか?
異世代間の交流はメリットこそあれ、阻む必要などないと思うのですが。
折角莫大な資金を注ぎ込んで建てたハコ物は利用者の気持ちに寄り添って、これから名称変更をするのもアリだと私は思います。
どんな呼称なら受け入れられやすいか
例えば、図らずも認知症になった人たちが寄り添って暮らす家は「グループホーム」と呼ばれ、「認知症患者の家」とは言いません。
近くにある葬儀場は「想奏ホール」という名称です。
(「想いを奏でる」なんて素敵!意味を持っている漢字は新語を作るには恰好の材料です!)
それらの名前には、目的をダイレクトに言わないでおこうという思いが明確です。
なのに、何故か「老齢に関わること」に関してはまだまだ思いが至っていません。
思いやりと言葉のセンスが欠落しています。
この間偶然訪れたサ高住の名称は残念ながら、「ラストライフ」でした…。
私たちの場に「新たな発見、出会い」、「知見、経験を蓄えた年齢」、「豊穣の時間」、「新しいライフステージ」、是非そんな前向きなメッセージを送ってもらいたいと思います。